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メーカー名ジュウロクホウイ 仕様 ■素材 ーベルト部分:牛床革 ー金属部分:ダイキャスト(亜鉛合金) ー飾り石部分:イミテーションストーン
■サイズ:約1/1サイズ
■重量約2.5kg前後
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インターナショナル・ヘビー級王座
インターナショナル・ヘビー級王座(インターナショナル・ヘビーきゅうおうざ)は、かつて日本プロレスが管理し、その後全日本プロレスに管理権が移ったフラッグシップタイトルである。日本プロレス界で現存するタイトルとしては最古の歴史を持つ王座の一つであり「日本マット界の至宝」とも言われるほど権威も高い。 現在は三冠ヘビー級王座を構成する3本のベルトのうちの一つである。力道山の時代
この王座は、NWA本部が1958年6月に日本を始め世界各国で積極的にNWA世界ヘビー級王座の防衛戦を行って防衛を続けたルー・テーズの実績を認めて、NWA世界ヘビー級王座とは別に、新たにルー・テーズを初代のインターナショナル・ヘビー級王者として認定したことによって始まったものである。このインターナショナル・ヘビー級王座が1958年8月27日、アメリカ合衆国・カリフォルニア州ロサンゼルスのオリンピック・オーディトリアムでのノンタイトルマッチで力道山がルー・テーズに勝利(反則勝ち)し、力道山はこの勝利を理由に王者の資格があると主張する。テーズはその後も世界王座を奪回するまで、王者として活動している。後にルーテーズより王者を名乗る事を認められたと推察される。(なお、この王座には専用のチャンピオン・ベルトは存在せず、帰国後に力道山が作成した。2度目に製作されたものが、ジャイアント馬場が1972年に全日本プロレスを旗揚げした時に力道山家から寄贈され、世界ヘビー級王座、後のPWFヘビー級王座のチャンピオン・ベルトとなる)。これ以後、日本に定着することになる。 インターナショナル・ヘビー級王座が力道山に移ってからは日本プロレスの至宝として東京・大阪などの大会場でタイトルマッチが行われ、力道山はドン・レオ・ジョナサン、エンリケ・トーレス、ミスター・アトミック、サニー・マイヤース、プリンス・イヤウケア、ミスターX、ゼブラ・キッド、ジェス・オルテガ、パット・オコーナー、バディ・オースチン、ザ・デストロイヤーなどといった強豪レスラーと名勝負を繰り広げ、またグレート・アントニオやヘイスタック・カルホーン、ムース・ショーラックなどの異能派レスラーとも王座を賭けて戦うなど、インター王座は力道山の代名詞となっていく。力道山は一度もこの王座を明け渡すことなく、19回連続防衛(ただし反則負け防衛が1回ある)を果たした。 しかし力道山は1963年12月4日にザ・デストロイヤーを相手に19回目の王座防衛を果たした後、兇刃に斃れて12月15日に急逝。その後、日本プロレスはインターナショナル・ヘビー級王座について、『力道山一代限りのもの』として封印を決める。ジャイアント馬場の時代
ジャイアント馬場が凱旋帰国しスケールの大きなレスリングで爆発的な人気を得ると「馬場を力道山の後継者として、インター王者を継がせるべきだ」という声が起こり、日本プロレスはNWAの了承を得てインターナショナル王座の封印を解除、「NWA認可、日本プロレスリング・コミッション認定」のタイトルとして復活させる。ただしチャンピオンベルトは力道山が使用したものを使わず、それとは全く別にベルトを新調した。 1965年11月24日、王座決定戦でディック・ザ・ブルーザーを破った馬場が第3代王者に就く。馬場は途中ボボ・ブラジル、ジン・キニスキーに王座を明け渡したものの、1972年9月に日本プロレス脱退・全日本プロレス創立に伴い王座を返上するまで、タイトルを保持した。この間テーズ、キニスキー、デストロイヤー、フリッツ・フォン・エリック、キラー・カール・コックス、ゴリラ・モンスーン、ブルーノ・サンマルチノ、ターザン・タイラー、クラッシャー・リソワスキー、ウイルバー・スナイダー、フレッド・ブラッシー、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ザ・シーク、ドリー・ファンク・ジュニア、ザ・ストンパー、スパイロス・アリオン、イワン・コロフ、クリス・マルコフ、テリー・ファンク、ブルドッグ・ブラワー、ジョニー・バレンタインらの強豪を退け、インターナショナル王座の価値はますます高いものとなった。キニスキーやドリー・ファンク・ジュニアがNWA世界ヘビー級王者として来日した際にも、日本プロレスとNWA双方の「日本にはインター王者がいるから」という意向で馬場が挑戦するNWA戦ではなくNWA王者が馬場に挑戦するインター戦が行われたことがあった(もっとも、馬場本人はNWA戦を望んでいたという)。大木金太郎の時代
馬場の王座返上後の1972年12月、大木金太郎とボボ・ブラジルの間で新王者決定戦が行われ(「頭突き世界一決定戦」とも称された)、ブラジルが初戦に勝ち王座復帰、第2戦で大木が勝って念願のインターナショナル王座のベルトを腰に巻いた。以降、大木はビリー・レッド・ライオンとフリッツ・フォン・エリックを相手に防衛戦を行ったが、アントニオ猪木とジャイアント馬場が抜けた後の日本プロレスは観客動員が格段に落ち、程なくして経営不振になり自前の興行を行えなくなった後、団体としての活動を停止した。それに伴い、インターナショナル・ヘビー級王座は認定コミッション消滅により宙に浮いた状態となったが、チャンピオンベルトそのものは大木が所持し、地元韓国にてスーパー・デストロイヤー、マリオ・ミラノ、ザ・デストロイヤー、サムソン・クツワダ、サンダー杉山、アブドーラ・ザ・ブッチャー、高千穂明久、ドン・レオ・ジョナサン、稲妻二郎、キラー・トーア・カマタ、キング・イヤウケア、ブル・ラモス、フレッド・ブラッシー、ジョニー・ロンドス、チーフ・フランク・ヒルなどと防衛戦を行った。大木が新日本プロレスに参戦していた当時の1975年3月27日には、ソウルでアントニオ猪木の挑戦も一度受けている。これは猪木唯一のインター戦となった。1980年に大木が国際プロレスに入団してからは、ジョー・ルダック、ジプシー・ジョー、ビル・ドロモ、上田馬之助を相手に日本でも防衛戦が行われた。 全日本プロレスは1981年4月13日、NWA本部からの勧告という形で大木に王座を返上させ復活トーナメント(9人参加)を開催し、以降は全日本プロレスのタイトルとして定着する(大木は馬場の推薦で韓国のプロモーターとしてNWAに加盟しており、「NWA非加盟の国際プロレスでインター戦を行ったのはNWA会員として問題」という趣旨の勧告であった。なお、全日本プロレスは交換条件として馬場が大木から奪取して封印していたアジアヘビー級王座を大木に渡している)。王座の復活
全日本プロレスマットで復活したインターナショナル・ヘビー級王座のトーナメント決勝は1981年4月30日の松戸市運動公園体育館で行われる予定だったが、準決勝の馬場戦で勝利するも右足首を捻挫したブルーザー・ブロディが決勝戦を棄権したため、ドリー・ファンク・ジュニアが自動的に王者となった。同日はトーナメント参加者によるくじ引きでドリーへの挑戦者を決めたが、弟のテリー・ファンクが当たりくじを引いて最初で最後の兄弟対決が実現し、54分ジャストにエビ固めでドリーが初防衛に成功している。 1981年10月9日、ブロディがドリーを破って王座を奪取。一旦はドリーに王座を奪回されるものの、1982年4月21日、再びドリーを破り王座の再奪取に成功(その間、ドリーは当時のアメリカでの主戦場だったNWAフロリダ地区にて、ジャック・ブリスコ、マイク・グラハム、ブッチ・リード、ブライアン・ブレアー、ミスター・レスリング2号、スウィート・ブラウン・シュガーなどを挑戦者に防衛戦を行っている)。 同年8月プエルトリコのサンフアンで行われたNWA総会において「NWAは東洋シェアでの実績と信用を評価し、インターナショナル・ヘビー級王座、インターナショナル・タッグ王座、インターナショナル・ジュニアヘビー級王座の3つのインターの王座は、今後はPWFと全日本プロレスに半永久的に管理及び運営を一任する」(総会に出席した馬場・談)という決定がなされ、PWFヘビー級王座と共に全日を象徴するシングルタイトルとなる。ブロディは再奪取以降通算1年4ヶ月、10回連続防衛という、外国人レスラーとしてはまれに見る長期政権を樹立する。 そのブロディを1983年8月31日に破り新王者となったのがジャンボ鶴田で、王座奪取後のロッカールームで馬場から「今日からお前がエースだ」と祝福されたのは有名な話である。 鶴田時代は初奪取となった第14代王者として17回連続防衛、途中スタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディに短期間奪われたものの5年7か月に渡って王座を維持した。その間、ニック・ボックウィンクル、ハーリー・レイス、ビル・ロビンソン、テリー・ゴディ、アブドーラ・ザ・ブッチャーらの挑戦を退けたほか、1986年3月29日にはハンセンのAWA世界ヘビー級・PWFヘビー級両選手権との日本初のトリプル・タイトルマッチが実現した。1988年頃から天龍源一郎の呼びかけで三冠統一の機運が盛り上がり、PWF王座・UN王座とのトリプル・タイトルマッチが多くなった。インターヘビー単独のタイトルマッチが最後に行われたのは、1988年9月9日、鶴田がブッチャーの挑戦を受けて防衛した試合である。 1989年4月18日、ジャンボ鶴田がスタン・ハンセンを破って本王座・PWF王座・UN王座の三冠王者となってからは、三冠ヘビー級王座として統合された。
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